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新規技術の国際的発掘
 
「量子エネルギー伝達による人工知能、磁界の励起状態発電、比国-水で走る車」視察

 

MEETING DANIEL DINGEL, WATER-POWERED CAR INVENTOR水で走る車の発明者ダニエル・ディンゲル氏との会合
●静岡県相模原市で、励起状態になった金属の自由電子により、空気中の磁力を電気エネルギーに変換できる発電機発を視察。
●不特定多数の人間の眼球測定から、被験者の潜在意識レベルでの反応を測定数値化できる装置(関心調査装置)の研究開発を視察。
城米彦造記念会:城米彦造は、京都から上京し神田区役所(現・千代田区役所)に勤務していた1931年、演劇税の督促のため尋ねた
  武者小路実篤に心を奪われ文学を志すようになりました。その後、戦後間もない有楽町のガード下で、自作の手作り詩集を売る
  「ひげの街頭詩人」として多くの人に親しまれることになります。 街頭詩人、画家:城米彦造HP
太陽光発電、風力発電など分散型の発電システムの開発が急がれているが、未だ決定打となる発明は、世に出ていないのが真実です。
 天候に左右される事のない、安全な自然エネルギーによる発電システムの研究開発が進んでいます。
 また、これらを人間の体内のエネルギー交換システムから創り出そうという研究も、当財団内で進行しております。
 *一般財団法人日本科学振興財団は“科学に裏付けられた文化の発展”を応援します。
 
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司 道成

古代の宮内省は、律令制で規定された八省のひとつ。太政官右弁官局被官で、はじめ1413司、のち統廃合されて155司の官司を所管し、宮廷の修繕食事掃除医療などの庶務一切を務め、天皇の財産を管理した。

院司(いんし、いんのつかさ)は、日本の中世・古代において、上皇や女院の直属機関として設置された院庁の職員。
中流貴族が任命されることが多く、他の官職と兼任する兼官だった。平安時代後期に院政が開始すると、上皇の政務機関である院庁の院司は、政治の枢要を担う重要職とされた。院司は、嵯峨上皇の
835年(承和2年)、院別当安倍安仁とあるのが初見である。当初、院庁は上皇の家政機関として設置され、所務・雑務が主要な用務であった。長官は別当(べっとう)、次官を判官代(ほうがんだい)、主典を主典代(さかんだい)といった。1086年(応徳3年)前後に白河上皇が院政を開始すると、院庁を構成する院司の役割は非常に重要なものとなった。院司は、治天の君(皇室の家長)の命を受け、院庁下文・院庁牒・院宣を発給し、治天の政治意思を具現化するため、実務を遂行していった。そのため、院司には、蔵人・弁官・受領などを歴任した実務官僚が充てられることが多かった。彼らは、摂関家のような上級貴族ではなかったが、実務能力をもって登用され、政治に大きな影響を及ぼした。院司や他の中流貴族の中には、治天の側近となり、権勢をふるう者も現れ、これを院近臣という。院司や院の近臣は、治天の権力を背景として、様々な利益を得ていたが、例えば知行国が給与されることもしばしば見られた。保元の乱以降の平清盛の急速な台頭も、後白河上皇の院司だったことが、主な理由の一つである。白河〜後鳥羽までの院政最盛期が経過した後も、実質的に院政が消滅する室町時代前期まで(一部の期間を除いて)、院司は政治の枢要を担う重要な役割を果たしていった。



「発明と科学」

日本科学振興財団は、人類にとって真に必要とされる発明を、全世界から発掘、日本発の技術とし事業化するための活動しております。
フィリピン国における活動は、現地国家警察(PNP)より認定を受け、犯罪の防止、撲滅 のための活動、全国ラジオ放送を行う、比国財団法人シティズンズ との提携の下、
一般財団法人日本科学振興財団が行っております。
 
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